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前世セラピー体験をお話する前に、
2011年イタリアでの不思議な出来事を書きたいと思います。

たった数分のタイムスリップ。

夢物語だと思って読んでいただければ幸いです。

◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇


アリーボ!
アリーボ!

携帯から聞こえてきた友人の言葉は私の耳から入って
脳の・・・
もっともっと深いところまで一直線に貫き
瞬時に、何か得体の知れないものと同化した。

「いま」 じゃない・・・

いま聞こえたこのARRIVO(アリーボ)という言葉は「いま」聞いているのではない。

違う時間軸の世界で聞いているのだ。

それは、どうにも表現できない未知の感覚だった。
それでいて、とてもすんなりと受け入れられる感覚なのだ。
だから「同化した」という表現が一番近いように思う。

時間を超えた魂と肉体と、「ARRIVO」が溶け合ったのだ。

ARRIVO=イタリア語(到着する)の一人称。
つまり「私が到着する」の意味。

ローマのカンポディフィオーリ広場。

私はローマの友人と待ち合わせをしていた。
深夜1時。
ローマの夏はこの時間でもまだ人が多い。

しかしこんな時間に呼び出しておいて待たせるとは何事?と

半ば呆れながらショートメールを送った。
「15分待ったから帰る」と。
するとすぐに友人から電話がかかってきた。

その電話が「ARRIVO! ARRIVO!」(もう着くから!)

の言葉だった。

 

私はスマホを耳に当てたまま立ち尽くした。
 

カンポディフィオーリの喧騒は消え、たった一人
シーンと静まり返った紺色の空中に浮かんでしまったのだ。

 

私はここで何をしている?

頭を整理するために、周りをよく見てみようと

一生懸命目を凝らしてみても

見えるのは体の奥から湧き上がる声だけなのだ。

 

声しか見えない、という不思議な感覚。

 

仕方がない。
自然にまかせ心の声に耳を傾けよう。
本能的にそう思った。

 

当たり前のように目に見えるものや触れられるものだけが

実在するというわけではないことを、

私はこれまで何度か体験してきたように思う。


しかし今回は「時間」さえも、

そもそも、そんなものが存在するのだろうか?

という疑問すら浮かんでいた。

 

スマホから耳を離し、ただじっと、なにかを感じ取ろうとした。

「もう着くよ」

夢の中にいるような感じで人の声をキャッチした。
目を凝らすと今度は薄っすらと、さっきから自分がいる広場の景色が戻った。
日本人観光客だ。
カメラを持ったカップルが通りすぎる。
私はこの「もう着くよ」の日本語にも大きく動揺した。

他を見わたすと、

全く知らない国の言葉を話す人々の会話からも

「到着」の言葉が聞き取れる。

なぜ知らない言葉が理解できるのだろう?

妙に冷静な自分がいるのに、

私の半分はいま、紺色の空中に浮かんでいるのだ。

 

こんなこと、だれが信じるだろう?

 

耳の奥で
心の奥で

 

「到着するから!」

 

と切実さを極めた声が
鳴り響く。

 

あ・・・・!

それは私が以前から遺跡の中でよく耳にする言葉ではないか!

「到着するから!」

そう聞こえてくる声に、いままでなぜ疑問を持っていなかったのだろう?
あまりにも自然に受け止めていたことが不思議でならない。

 

ギュっと腕を掴まれ、

私は浮かんでいた空中からストンと地面に足がついた。

友人が到着したのだった。

 

 

 

わずか数分の出来事だったと思う。
 

しかし私は確かに遠い時間を旅していた。


 

 

 

 

「Shiiに見せなきゃいけないものがあってね!」

と友人は私の手を引っ張り、

人ごみの石畳の通路を小走りに横断した。

渡されたヘルメットをかぶり友人のスクーターの後ろに乗った。
カラっとした気持ちの良い夜風を受けコロッセオを眺めて走る。

深夜のローマ。

昼間だったら「ローマの休日」のシーンそのものだ。

程なくカンピドーリオの丘につく。

見せたい所って、ここ?
ここは何十回も来ているし、

もしかしたら地元のイタリア人より詳しいよ・・・。
なんてったって

ここから見えるフォロロマーノを題材に何年も制作しているのだ。。。

と心の中でぼやきながら坂道を登る。

 

「振り返って見て!」

前を歩いていた友人は私の方に向き直り、そう言った。

私も、振り返って
友人の視線の先を追って見た。

 

巨大なセプティミウス凱旋門の上方が私たちの目と同じ高さにあり、

月明かりに照らされながら、雄大なその姿を親しみ深く見せてくれていた。

もちろん私はこの位置からの風景をいままで何度も見ているし

スケッチもしてきた。
なのに、
なぜか胸が詰まった。

月明かりがそうさせたのか?
わからない。


 

 

見たんだ。

 

 

遠い昔、私はここから
全く同じ景色を見たんだ。

同じく深夜に。

だから私はここを作品にしてきたの?


友人は私のフォロロマーノ作品を見たとき、

この丘の中腹から見える深夜の風景が脳裏に浮かんだのだと言った。

 

私には、このとき
わかったようで、わからない
どうにもならない気持ちを

何年も抱えることの辛さをまだ知る由もなかった。

友人とはその後もたまにメールしたり

ローマに行ったときは気が向けば連絡をするくらいの友好関係だが、

前世では私の面倒を見てくれた内縁の妻だったのではないかと・・・

それから3年後の前世セラピーで感じることとなる。